嵐の前の静けさ・・・なのか?

2017年1月20日 § コメントする

明日、新しい大統領が就任する。stairs-2-light-768372-s

「自分が選んだ大統領じゃない」

という発言をよく目に、耳に、する。

私だってそう言いたい。

実際に投票権を持たない私が言えば、まったくもって、

私が選んだんじゃない!

とも言える。

でもね、いつも思うのは、社会で起きていること、

それは大統領選挙も含めて、

すべて私たち自身のリフレクションだということ。

鏡のように、映し出されている、

真っ裸にされている、

私たち、人間たちの、

愚かさ、

弱さ、

未熟さ、

醜さ。

私の友人はいつも言う。

「一事が万事」

わけのわからん大統領が誕生するということは、

私たちがわけのわからん生き方をして、

わけのわからん社会をつくっているということに他ならない。

私も不安。

不満。

じゃあどうする?

って、

自分自身から改めていくしかないということか。

気が遠くなるような道のりだけど、

そういうこと。

これから引き続き、

身の危険を感じたり、

言葉の暴力、

無言の暴力に怯えたり、

そんなリスクを以前にも増して日々感じながら

このアメリカという国で暮らしていく。

余程のことがない限り、

この先、4年間は、この大統領が国のトップとなるのだから。

今夜は、まったくもって落ち着かない。

明日は仕事のアポは入れていない。

ベストパフォーマンスの自信がないから。

明日以降、

私は何を感じ、考え、言葉にしたくなるのか、

ならないのか、

今夜の私にはわからない。

明日から、

人間の、そして私自身の、

愚かさ、

弱さ、

未熟さ、

醜さを、

社会のあちこちで、

嫌というほど目撃し、体験するのだと思う。

2016年以上に。

今年、2017年は、良い年にするんだ、

と決めているんだから、

このありえない逆境の中で

それを実現していく方法を

見出していくんだよ。

私の準備が整っていようが、いまいが、

明日は来て、

就任式は起きる。

いよいよ。

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クララおばあちゃんのPoorman’s Mealが、気づかせてくれた、私の理想の人生。

2017年1月19日 § コメントする

アメリカ大恐慌を生き抜いた、クララおばあちゃんのレシピ

一袋1ドルで買ってきたポテトを工夫して食べた毎日。

 

「孫のマークとその友達が、私のpoorman’s mealが食べたいって、うちに来るのよ」

 

と、今では孫のために作っているレシピ。

 

ポテト、オニオン、油、

「傷んでいるポテトがあったら、ちゃんと食べられるところだけ切り取って食べるのよ」

火が通ってきたら、少しのトマトソースで味付け。

一番安いお肉、ホットドッグを投入。

 

仕上げにお水を少し加える。

 

「こうしてやると、孫たちのためにポテトが柔らかくなってくれるでしょ」

 

育ち盛りの息子2人を持つ身としては、なけなしの食材でお腹をいっぱいにしてやりたい、という親の(おばあちゃんの)心が沁みます。

このビデオが撮影された2007年に93歳だったということは・・・

クララおばあちゃん、100歳で亡くなった私の祖母と2つ違いの同年代。

3歳の息子(父)の手を引いて第二次世界大戦の戦火をくぐり、合計7人の子どもたちを戦後の食糧難の時代に育てた祖母。

その祖母に育てられた私。

「あっこちゃん、はよ、あんた、もっと食べ」

と、食事のたびに、もっと食べろもっと食べろ、と言った祖母でした。

食べさせる

ということが、最大、最高の、愛情表現だったのよね、おばあちゃん。

私も、そんなおばあちゃんになっていきたい。

高価な食事でなくても、

愛情を込めて、

お腹がすいている人のお腹を満たしてあげられる、

最後は(最期は)そんなおばあちゃんとして、

誰かの記憶に残るおばあちゃんになりたい。

 

100歳まで、そんなふうに生きられるといいなぁ。

それ以上に望むものなんて、ないような気がする。

 

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「うちのママの英語はアクセントないよ」

2017年1月4日 § 2件のコメント

・・・と言って、友達に驚かれたそうです。うちの長男。

 

面白いですねぇ。

先日、友達のアダムの家に、泊りがけで遊びに行っていた長男。いつもの仲良し3人組で、冬休みになったら実行しようと以前から企画して楽しみにしていた、2泊3日のビデオゲームし放題、映画観放題のお泊り会でした。

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「どうしてママの話になったのか忘れちゃったけど・・・」

と言って長男が

今日話してくれたのは、私のアクセント(訛り)の話。

アダムが「おまえのお母さんのアクセントがさぁ・・・」というような話をするので、長男は驚いて、

「え?うちのママの英語、アクセントないよ」

と、きょとんとして返したそうなんです。

それに驚いたのがアダム。

「えー、すごい強い日本語アクセントでしゃべってるよね!」と。

私、自分でもアクセントあると思うんですよ。確かに、日本人の英語の平均的アクセントというものがあるとすれば、私のアクセントは弱いのかもしれません。ほとんどネイティブだね、と言われたことも、ないこともないです。

でもね、私は日本語アクセントの英語が良くないとは全く考えていないので、日本語アクセント丸出しで英語を話していると思うんですよ。

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赤ちゃんだったときの長男と私。日本で暮していた頃。

この出来事で非常に興味深く思ったのは、私の英語を身近で聞いて育った長男が、私の英語のアクセントに気づいていなかった、ということ。

これはどういうこっちゃ?と、思いましたよ。

自分の母親のことは、なかなか客観的に観察できない・・・といったことなのかしらね?

 

 

今年の一文字が出てこない。

2017年1月3日 § コメントする

新しい年の初めに「今年の漢字」を決め始めてから、もう何年も経ちます。毎年、閃くんですよ。これだな!って。

昨年の元日、私に降りてきた一文字は、「光」でした。

 

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2016年1月1日のFacebookへの投稿

なんの脈絡もなく思いついたような一文字として始まりましたが、結局、それは偶然ではなく、たくさんの「光」にまつわる経験を重ねた一年となりました。

当時のFacebookへの投稿には、漢字の発表(宣言)にとどまっていますが(恥ずかしかったので)、2016年1月1日、私の手元のノートには、

「光として生きる」

と、書いてあります。

今年、2017年、私の漢字はまだ決まっていません。

じーっと待っているところです。

年越し、ファミリー、〆は納豆。

2017年1月2日 § コメントする

2017年、あけましておめでとうございます。

アメリカにも元日の朝が来ました。今日は、私の年末年始の過ごし方について、ご紹介してみようと思います。

クリスマスが終わると、ホリデー気分が一気に収束するアメリカ。大晦日、お正月・・・周りでは誰も気にしてない!

カウントダウンするお祭りの日・・・。厳かな雰囲気はなく、家族でゆっくり新年を迎えましょう、という感慨はほとんどないですね。

このシーズンについては以前にも書きましたが、クリスチャンではない日本人の私にとっては、年末年始の方が大切な区切りの時期なんです。

2006年に家族でアメリカに引っ越ししてきて以来、11回目の大晦日だった昨夜。恒例の紅白歌合戦は観なかったものの、それ以外はほぼ、私の愛する大晦日の過ごし方となりました。

夫と2人の息子たち、

友人ファミリー x2、

の合計9人+我が家の1匹での年越しでした。

 

お正月のまどろみわんこ

出会った頃は可愛らしい20代の女の子だった友人2人が、今はそれぞれアメリカ人と結婚して、一人は子供を連れ、お腹にもう一人抱えて、それぞれ素敵な旦那様と一緒に我が家に集ってくれることが、私にとって最高のギフトです。

私には血のつながった兄弟はいませんが、この“妹”たちがいるから、故郷を離れていても、日本を感じながら暮らし、年越しを祝うひと時を過ごすこともできます。

 

ところで、私の適当に手抜きの夕食。用意した今年のメニューは、

  • 白いご飯

  • ハニーガーリックソースのミートボール

  • 芽キャベツとニンジンのグリル

  • バター醤油味のジャガイモのソテー

  • ブラウニー

  • 年越しそば

そして、友人たちが持ち寄ってくれたご馳走たち。

  • 各種チーズ!チーズ!チーズ!

  • イチジクバター

  • 各種フルーツ

  • サマーソーセージ

それに、各種ドリンク、

  • ビール

  • 日本酒

  • 白ワイン

  • ノンアルコール・スパークリングドリンク

  • ほうじ茶

食べて、飲んで、おしゃべりして、

なぜか、夜中に納豆ご飯を食するアメリカ人一名。

おもしろオカシクも、心あたたまる時間でした。

2017年も、どうぞよろしくお願いします。

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