しょーもないことに付き合ってくれる間

2017年9月29日 § コメントする

「NRT・・・・成田!」

「MCD・・・・マクドナルド!」

とかってね、やらずにいられないんです。

 

なんの話かというと、車を運転中のひとり遊び。

 

ミネソタの車のナンバープレートの多くは、アルファベットが3つ入っています。

その3つのアルファベットを頭文字のように見立てて、言葉を連想するんですよね。

 

今日、高校のサッカー部の練習が終わった長男を、車で迎えに行った帰り道。

せっかく迎えに行ったのに、黙って助手席に乗りこんで、

「お疲れさま」

と言っても、

「うん」

とだけ返事して、視線は自分の携帯の画面に落としたまま。

私が持って行ったサンドイッチを黙ってパクパク。

Akiko and Noa on Thomas

こんな頃もあった~。かわいかった~。(今もかわいいけど。)

私も黙って運転しながら、赤信号でストップしました。

私たちの前に停まった車のナンバープレートに目がいく私。

 

PPY・・・・

 

「ポパイ!」

と、大きな声で私が言うと、

長男は驚いて携帯から目を上げ、私の顔を見、前の車のナンバープレートを見、

にこっと笑って、「うん」と、頷いてくれました。

 

心の中では、

ほんまにママはアホなことで喜ぶなぁ、

と呆れている部分もあるのだと思いますが(長男は関西弁では考えませんけれど)、

こうしてくだらないことに付き合ってくれている間は、

ぶっきらぼうなこの子も、大丈夫、って思えます。

 

 

一週間、立ち止まってみて。

2017年6月1日 § コメントする

博士論文研究のディフェンスを無事終えて、一週間が経ちました。

こんな時間を過ごしたのは、何年ぶりでしょう。10年ぶり以上かもね。

なーんにもしてない。

 

まぁ。正確に言えば、もともと入っていたコーチングセッションや会議はこなしているわけですが、私としては、これはもう、なーんにもしてない領域ですよ。

のんびり、ぼけ~~~~~っと。

久しぶりに家族のために少し丁寧に食事を作ったり、

庭の草むしりをしたり、

わんこを長い散歩に連れて行ったり。

そんな私を見て、夫は

「いいんだよ~、これまでノンストップだったんだから~」

と、のんびり構えてくれているので、すっかりのんびりしています。

春から夏に向けて次々に庭に咲く花たちに、目を向けることのできる時間。

感謝しながら写真に残しています。

クララおばあちゃんのPoorman’s Mealが、気づかせてくれた、私の理想の人生。

2017年1月19日 § コメントする

アメリカ大恐慌を生き抜いた、クララおばあちゃんのレシピ

一袋1ドルで買ってきたポテトを工夫して食べた毎日。

 

「孫のマークとその友達が、私のpoorman’s mealが食べたいって、うちに来るのよ」

 

と、今では孫のために作っているレシピ。

 

ポテト、オニオン、油、

「傷んでいるポテトがあったら、ちゃんと食べられるところだけ切り取って食べるのよ」

火が通ってきたら、少しのトマトソースで味付け。

一番安いお肉、ホットドッグを投入。

 

仕上げにお水を少し加える。

 

「こうしてやると、孫たちのためにポテトが柔らかくなってくれるでしょ」

 

育ち盛りの息子2人を持つ身としては、なけなしの食材でお腹をいっぱいにしてやりたい、という親の(おばあちゃんの)心が沁みます。

このビデオが撮影された2007年に93歳だったということは・・・

クララおばあちゃん、100歳で亡くなった私の祖母と2つ違いの同年代。

3歳の息子(父)の手を引いて第二次世界大戦の戦火をくぐり、合計7人の子どもたちを戦後の食糧難の時代に育てた祖母。

その祖母に育てられた私。

「あっこちゃん、はよ、あんた、もっと食べ」

と、食事のたびに、もっと食べろもっと食べろ、と言った祖母でした。

食べさせる

ということが、最大、最高の、愛情表現だったのよね、おばあちゃん。

私も、そんなおばあちゃんになっていきたい。

高価な食事でなくても、

愛情を込めて、

お腹がすいている人のお腹を満たしてあげられる、

最後は(最期は)そんなおばあちゃんとして、

誰かの記憶に残るおばあちゃんになりたい。

 

100歳まで、そんなふうに生きられるといいなぁ。

それ以上に望むものなんて、ないような気がする。

 

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「うちのママの英語はアクセントないよ」

2017年1月4日 § 2件のコメント

・・・と言って、友達に驚かれたそうです。うちの長男。

 

面白いですねぇ。

先日、友達のアダムの家に、泊りがけで遊びに行っていた長男。いつもの仲良し3人組で、冬休みになったら実行しようと以前から企画して楽しみにしていた、2泊3日のビデオゲームし放題、映画観放題のお泊り会でした。

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「どうしてママの話になったのか忘れちゃったけど・・・」

と言って長男が

今日話してくれたのは、私のアクセント(訛り)の話。

アダムが「おまえのお母さんのアクセントがさぁ・・・」というような話をするので、長男は驚いて、

「え?うちのママの英語、アクセントないよ」

と、きょとんとして返したそうなんです。

それに驚いたのがアダム。

「えー、すごい強い日本語アクセントでしゃべってるよね!」と。

私、自分でもアクセントあると思うんですよ。確かに、日本人の英語の平均的アクセントというものがあるとすれば、私のアクセントは弱いのかもしれません。ほとんどネイティブだね、と言われたことも、ないこともないです。

でもね、私は日本語アクセントの英語が良くないとは全く考えていないので、日本語アクセント丸出しで英語を話していると思うんですよ。

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赤ちゃんだったときの長男と私。日本で暮していた頃。

この出来事で非常に興味深く思ったのは、私の英語を身近で聞いて育った長男が、私の英語のアクセントに気づいていなかった、ということ。

これはどういうこっちゃ?と、思いましたよ。

自分の母親のことは、なかなか客観的に観察できない・・・といったことなのかしらね?

 

 

年越し、ファミリー、〆は納豆。

2017年1月2日 § コメントする

2017年、あけましておめでとうございます。

アメリカにも元日の朝が来ました。今日は、私の年末年始の過ごし方について、ご紹介してみようと思います。

クリスマスが終わると、ホリデー気分が一気に収束するアメリカ。大晦日、お正月・・・周りでは誰も気にしてない!

カウントダウンするお祭りの日・・・。厳かな雰囲気はなく、家族でゆっくり新年を迎えましょう、という感慨はほとんどないですね。

このシーズンについては以前にも書きましたが、クリスチャンではない日本人の私にとっては、年末年始の方が大切な区切りの時期なんです。

2006年に家族でアメリカに引っ越ししてきて以来、11回目の大晦日だった昨夜。恒例の紅白歌合戦は観なかったものの、それ以外はほぼ、私の愛する大晦日の過ごし方となりました。

夫と2人の息子たち、

友人ファミリー x2、

の合計9人+我が家の1匹での年越しでした。

 

お正月のまどろみわんこ

出会った頃は可愛らしい20代の女の子だった友人2人が、今はそれぞれアメリカ人と結婚して、一人は子供を連れ、お腹にもう一人抱えて、それぞれ素敵な旦那様と一緒に我が家に集ってくれることが、私にとって最高のギフトです。

私には血のつながった兄弟はいませんが、この“妹”たちがいるから、故郷を離れていても、日本を感じながら暮らし、年越しを祝うひと時を過ごすこともできます。

 

ところで、私の適当に手抜きの夕食。用意した今年のメニューは、

  • 白いご飯

  • ハニーガーリックソースのミートボール

  • 芽キャベツとニンジンのグリル

  • バター醤油味のジャガイモのソテー

  • ブラウニー

  • 年越しそば

そして、友人たちが持ち寄ってくれたご馳走たち。

  • 各種チーズ!チーズ!チーズ!

  • イチジクバター

  • 各種フルーツ

  • サマーソーセージ

それに、各種ドリンク、

  • ビール

  • 日本酒

  • 白ワイン

  • ノンアルコール・スパークリングドリンク

  • ほうじ茶

食べて、飲んで、おしゃべりして、

なぜか、夜中に納豆ご飯を食するアメリカ人一名。

おもしろオカシクも、心あたたまる時間でした。

2017年も、どうぞよろしくお願いします。

バタバタするほうがラク?

2016年12月2日 § コメントする

各地で目に見える混乱が起き続け、

多くの人たちの心の中で混沌とした不安と不信感が膨れ続けている、

2016年、年末のここアメリカ。

 

「何かアクションを起こさなくっちゃ!」

「今すぐ私にできることは何!?」

 

という叫びに近い声をあちこちで耳にします。

 

私はいつも、まず

「待って」

「立ち止まって」

と応えます。

 

語弊のないように言えば、

もちろん、すぐに対応をしなければならない緊急事態もあります。

 

でも、多くの場合、

いったん深呼吸をする時間があるはずなのです。

 

一旦停止。

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周りからのプレッシャーで衝動的な行動に出てしまう時は、

ベストな行動の選択肢を見逃していたりします。

 

怒りにまかせて衝動的行動に出てしまう時は、

往々にして判断を誤ります。

誤りではなかったとしても、

不必要に自分や周りをさらに傷つけることになったりします。

 

人はなぜ、衝動的行動に出ようとするのでしょうか。

そのひとつの理由は、

「何かしなくっちゃ!」

と、自分に問いかけ、周りに呼びかけ、

動き回ってさえいれば、

少なくともその間だけ、

自分の心と向き合わずに済むからです。

 

心の中に目を向けるのは、

バタバタと行動を起こすよりも、

ずっとずっとエネルギーを要する場合が多いものなんですね。

 

私は「肯定的内省」と呼んでいますが、

まず自身の心の中で起きていることに目を向け、

津波のように押し寄せる

不安、恐怖、怒り

などをしっかりと受け止めることです。

 

それが第一歩。

 

かく言う私自身も、

今回の大統領選慮結果を受けて、

日々の生活への制約

アジア人の血が混ざった息子たちの人生への不安

白人の夫と結婚していることの難しさ

異文化感受性開発という仕事へのやり切れなさ

そんなあれやこれやに苛まれ、

この一か月、心と向き合うのは容易ではありませんでした。

今も、まだそうです。

 

でも、そこに向き合うからこそ、

少しずつ、外に目を向ける準備が出来てきました。

 

12月1日になって、

さぁ、準備しよう

出て行こう

仕事をしよう

という、新しい年への「自己ガバナンス」に

手をかけようとしています。

 

あなたは、今、どこにいますか?

 

 

 

 

アメリカのユースサッカー事情

2016年10月13日 § コメントする

今日は次男の人生初、USサッカーからのスカウトの前でプレーをする機会に恵まれた日でした。U13(13歳以下グループ)になって、これからの次男のサッカーへの本格挑戦が間近になったことを感じた出来事でした。
昨年から、ODP(オリンピック・ディベロップメント・プログラム)には参加していますが、USサッカーのタレント開発の取り組みはそれだけではないんですね。ODP以外にも、U14以上になるとユースのプレミアリーグが始まり、スカウトに定期的に見てもらえる「ショーケース」と呼ばれるトーナメントなどがあります。もちろん、各州に数か所ずつあるDA(ディベロップメント・アカデミー)の認定を受けたクラブに所属することで、ナショナルチームへの道が開けることも多いようです。
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これら以外にも、まだ道があったんですね。比較的新しいトレーニング・センターという取り組み。ODP、DA、のみでは将来有望なユースプレーヤーを見逃す可能性もあること、またユースプレーヤーの層を厚くしていくことが目的だと、私は理解しています。
トレーニング・センターとは、USサッカーが、ユース・ナショナルチームのコーチや専属のスカウトを全国各地に派遣して、単発のトレーニングの機会を設け、地元のクラブから推薦されたプレーヤーのプレーを見る。そして、そこでの評価を通して、いつの日かナショナルチームでプレーする日を目指すユースたちのリストに名前が加えられるのですね。
今回は一日だけのトレーニング・センターでした。U13の今シーズンの始めに、こういう場に出てプレーすることができたのは、今後のための貴重な練習になったことと思います。本人は、別のクラブに所属している顔見知りのプレーヤー達と一緒にトレーニングできたことが、楽しかったようです。普段は対戦相手のクラブでも、全国的に見れば、これから『チーム・ミネソタ』でチームメートとなっていく仲間だもんね、という話を次男と一緒にしました。
次男がサッカーに没頭しているおかげで、私と夫もサッカーのあれやこれや、勉強になること、まだまだ勉強が必要なこと、いろいろとあります。人生、何がプライオリティーとなるか、予測のつかないこともあるものですね。はあー、ママはドキドキするけど、できるサポートはして、おせっかいはしないように、次男の夢への挑戦を引き続き見守っていきます。

二重国籍問題。法律。故郷。

2016年10月9日 § コメントする

アメリカ人か、日本人か、うちの息子たちは将来選択しないといけないのよ。

と言うと、たいていのアメリカ人に驚かれる。日本が、二重国籍を認める法律に変える日はいつ来るのか、国外在住の私たちにできることは何なのか、なかなかわからないのが現状です。

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幼い頃の長男と母

こちらのガメ・オベールさんという方のブログを読んで、いろいろ思うところがありました。ひとつは、やはりなんだか暗澹としたような、法改正への道のりは遠いのだろうなぁ、うちの息子たちがその恩恵を受けることはないのかもしれないなぁ。という気持ち。

もうひとつは、このガメさん、かなりいろいろなことをはっきりしっかり書いてくれているので、ちょっと私も清々したような気持になったことでしょうか。この二重国籍問題に関しては、感情的に反応するなら、

アホか、日本。そんなんやからあかんねん。どんどん失ってるで。

と思うこともあるのです。その気持ちは、親(日本と言う故郷)に反抗する子ども(私)のような心情に近いような気もします。

引き潮に乗って、日本と言う国からどんどん引き離されていくような感覚。手を伸ばしても、潮の流れにはなかなか逆らえません。

近い将来、日本の法律が改正されて、二重国籍を認められるようにならない限り、きっと私の息子たちはアメリカ国籍を選ぶことになるのでしょう。本人たちも潮の流れにのまれる感覚を味わうのではないかと思います。彼らも日本を大好きで、故郷だと思っていますから。

年老いてきた私の両親の行く先も、どうでしょうね。もし父が残れば、きっと自宅でひっそりと残りの時間を過ごすのでしょう。もし母が残れば、どうだろう、アメリカで一緒に暮らしたいと言うだろうか・・・

数年前、夫が調べてくれたところによれば、義理の息子として夫が私の両親のスポンサーになるのは不可能だとのこと。母がアメリカで暮らすためには、私がアメリカ人になり、母のスポンサーとなるしかないのです。

現在はいわゆるグリーンカード保持者として暮らしている私ですが、アメリカ国籍を取得するとなれば、現行の日本の(アメリカのではなく)法律によって、日本国籍を放棄することが強制されます。日本人でなくなってしまう決断をしなければ、私は母を呼び寄せることができないのです。

日本との絆をつかんでいたい、手を放したくない、と思っても、法律が立ちふさがります。そんな気持ちでいるのですよ、国外在住の多くの日本人たちは。

外国人として日本の空港に降り立ち、入国審査を受ける日が、私にも来るんだろうか。

虹色記念日

2015年6月27日 § コメントする

「アメリカに住むすべての人が結婚できるようになったんだね」

と、長男。

昨日、アメリカ合衆国最高裁が、アメリカ国内全州で同性結婚を認める決定を下しました。

長男のサッカートーナメントからの帰り道。ダウンタウン・ミネアポリスの高層ビルも、レインボーカラーのイルミネーションでした。

長男のサッカートーナメントからの帰り道。ダウンタウン・ミネアポリスの高層ビルも、レインボーカラーのイルミネーションでした。

これまでは各州での判断に委ねられていたため、男性同士、女性同士で法的な結婚手続きが受理されるのは、限られた州のみでした。私の住んでいるミネソタ州で同性結婚が認められるようになったのは、2013年8月1日。ほんの2年弱前のこと。

昨年2014年の夏には、夫の弟がすでに同棲を始めていたボーイフレンドとめでたく結婚しました。義弟のパートナーは両親含め自身の家族にゲイであることを受け入れてもらえず、ほとんど敷居をまたげない状態にありますが、義弟と結婚したことで私たちファミリーの一員となりました。いつの日か、彼自身のご両親にも愛を持って受け入れてもらえる日が来ることを信じたいと思っています。

愛する人が同性であっても異性であっても、結婚して一生を共にしたいと願うカップルたちが、周りの人たちに祝福され、法的な結婚という意味で社会にも祝福される、そんな世界に一歩近づく決定がこの国で実現したこと。ほっとしたような、あらたな希望がわいてきたような、そんな気持ちになった昨日でした。

自分の息子をわかってあげられない?   〔多人種ファミリー〕

2015年1月22日 § コメントする

次男(10歳)の友人ファミリーと、一緒に時間を過ごす機会がありました。ジェイミーくん(仮名)の両親は2人とも白人。ジェイミー自身は、韓国から養子に来たため見た目は100%アジア(韓国)人。ちょっと恥ずかしがりなジェイミーは、お友達にも親切で、ベイビーフェイスのとってもかわいらしい男の子です。

朝鮮戦争終戦以来、たくさんの子供たちが養子として海外に渡ってきたんですね。アメリカにはこれまでに10万人以上のコリアン・アダプティー(韓国海外養子)が縁組されています。

ジェイミーのお母さんのアンとは、これまで親しく話したことはなかったのですが、先日初めて母親としての胸の内を聞かせてくれました。私がアメリカという国に暮らすアジア人であること。白人の夫を持ち、白人のファミリーに囲まれて暮らしていること。そんな私の生活環境を見て、心を開いてくれたようでした。

「私、ジェイミーのことをわかってあげられないんじゃないかと思って不安なの」

とアンは言いました。

「私、息子の母親として、この先の彼の人生において必要なサポートをしてあげられるかどうか、自信がないのよ」

その気持ちはよくわかりました。普段からアンの息子への深い愛情は、見ているだけで伝わってきます。その彼女のことですから、白人の両親に養子として育てられたアジア人の顔をした息子がどんな色眼鏡で見られ、どんな誤解を受け、どんな困難にぶつかる可能性があるのか、彼女なりにたくさん調べているんですね。

「アキコ、アジア人としてアメリカで暮らしていて、何か問題にぶつかったことはある?」

「アキコ、白人の多いコミュニティーに暮らす上で、気をつけていることってある?」

「アキコ、アメリカでプロフェッショナルとして仕事をする上で、アジア人であることが障害になることはある?」

「アキコ、人種差別や偏見に遭ったときに、どうやって乗り越えてきたの?」

たくさんの質問を投げかけられました。私なりに体験や考えを共有しましたが、彼女自身も私も、私とジェイミーの立場がまったく同じではないこともわかっていました。その上で、「もしこれから先、ジェイミーがアジア人として(アジア人の顔をして)アメリカで生きる大人と話をしたい、という気持ちになれば、いつでも私は話し相手になりますよ」と伝えました。「とても心強いわ」と言って、少し涙ぐんでいたようでした。

長男、3歳の端午の節句

長男、3歳の端午の節句

アメリカには、コリアン・アダプティーのコミュニティーがたくさん存在します。私たちの住むミネソタ州にも。でも、アンにとって、そのコミュニティー以外にも、多人種ファミリーの話し相手が必要だったのではないかなぁと思いました。私自身、白人xアジア人ミックスの息子を2人育てる中で、いろいろと思うところはあります。人種ミックスであることが見た目で明らかにわかる息子たちが、この先そのことにどんな影響を受けていくのか、プラスなこともマイナスなこともあるだろうと思います。そんなすべてのことを自分自身の糧として、強いアイデンティティを育てていってほしいなぁと、私は息子たちに願っています。

どんどんと多様化する家族のかたち。手探りなことが多くても、ファミリー同士がサポートし合って暮らしていけるような文化が育ってほしいですね。

Where Am I?

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